お手伝いさんのお父さんが1924年生まれ90歳で大往生の話はまだ記憶に新しいとこですが、その秘訣というか秘密を聞いてみました。
その時のブログ記事
お葬式に行く。日帰り300kmの旅 その1
お葬式に行く。日帰り300kmの旅 その2
以下お手伝いさんのお話
まずね、完璧なベジタリアンだったのです。肉を取ったスプーンでよそうのもダメだったんだから。辛いのは普通に食べていたけど、米はいつも赤米。パンは食べていたかなあ、ロティーは食べてたな。
仕事は大工さんよ。煉瓦担いで重労働だったのよ。でも子供みたいな人だったわ、シャイで口数も少なくて。奥さん(お手伝いさんのお母さん)はいつも3時になると「ビスケット食べる?食べる?」と子供の世話を焼いてるみたいだった。夫婦仲の良さは村一番だったね。あまりカッとなることはなかったね。
意識な無くなる前、体調が悪かった時は「ワシが死んでも泣き叫ぶなよ。ここまで生きたから皆は喜んで見送ってくれ」って言ってたのよ・・・うう、うぅ~。
死ぬ前日まではうぅ~って呼吸が荒くなることが多かった。水も口に含めるだけだった。そのまま眠るように呼吸が止まっちゃったのよ。でも、呼吸が止まった時に微笑んだの!ふうんって。(その真似をしてくれた。)そのまま静かになっちゃったのよ。なぜか排泄物も流れ出てきちゃったんだけどね。ちょっとだけ。
沢山の子供や孫やひ孫に囲まれて、カッカすること無く、質素で栄養あるものを食べて良い人生だったよね、と話していました。あれ、それってこの前の理想のスリランカ人についての記事と同じ人生じゃないですか。
記事 理想のスリランカ人像(ちょっと押し付け気味)
そうかそうか、も最愛のオットを亡くした妻(お手伝いさんのお母さん)は後を追うようにすぐ亡くなることが多いというから気をつけなよ。と言ったところ、「そうなの、気になっちゃって。だから今月は金曜日から実家に帰っていい?」だって。
これでダメだと言えましょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿