2018年4月7日土曜日

物乞いについて考える

これは個人的な考えですので、かる~く読んでいただけると有難いです。

最近はあまり見かけなくなりましたが、スリランカには物乞いをする人達がいます。
地方や観光地ではみないけどコロンボの大きな道路や交差点ですね。

ある日トゥクトゥクで信号待ちをしていたら、松葉杖の若者が車の間をカップを差し出して歩き回っていました。危ないって?危ないけど信号が変わる前にはちゃんと歩道によけてるのよ。

マダムー、フード...ランチ...ベイビー...って言いながら人の目をジッと見つめて言われたら、皆さんならどうしますか。

前はよく10ルピーとか渡していたんだけど、なんかもやもやするんだよね。
で、そのもやもやする感情や、渡さないで無視したことに対する「私ってそんな無慈悲?嫌な奴?」っていう罪悪感がチクチクとしてくる。私はあげなかったけど隣の車や私のトゥクトゥク運転手さんがお金あげてることとかあって(こいつケチだな)って思われてるのかなとちょっと恥ずかしくなったり。

他の人には見向きもせず私の車に突進してくる人もいるんですねぇ。切断されて肘から上しかない人が首からカップぶら下げて車の窓叩いたり、腕を目の前に差し出されたりしてくると怖いよ~。

メタボおっさん(スリランカ人旦那)やお手伝いさんは、物乞いはビジネスだから気にするなとか、麻薬中毒者やアル中だからあげなくていいって言うんだけど。

たかが10ルピー20ルピーなのになんでこんなにモヤモヤするんだろう?あげてもあげなくてもすっきりしないのは、私が神経質?気にしすぎ?
スリランカにお住いの皆さん、物乞いに遭遇した皆さんどうですか?

働きたくても働けない人がいるんだからとか、政府が支援してくれないから生活できないからとかそんな意見もあると思いますが。お金じゃなくて物あげればとか?

どうして罪悪感を抱きつつもお金をあげたくないんだろう私、と考えていたらある日、すとんと納得しました。

日本では物乞いは軽犯罪法で禁止されているから。
すべての国民は勤労の権利を有し、義務を負う。
健全な公衆環境、感情を狙うものとして罰せられるのです。

ちなみに大道芸はパフォーマンスの代価を払う、托鉢は宗教の自由や他人に強制しないからと軽犯罪法には当たらないんだって。スリランカのバスに入り込んでくるタンバリン歌うおじさんはパフォーマンスってことで。

私が住んでるのはもちろん日本国憲法の範囲外なので、これをかざして物乞いは違法だとは言えませんし、スリランカにはそんな法律ないと思うので何の解決にもなりませんが、心のモヤモヤは何となく晴れました。嫌悪感の原因ね。

物乞いが違法の国で育ち、物乞いを寛容している国に住む。

嫌悪感と罪悪感が混じってしまいますが、目を伏せつつ軽く「ダメ」って首ふってます。たまにあげることもあります。でもこの前1ルピーコインしかなくて、あげたらすっごい嫌な顔された...。


物乞い以上のことや、路上でのひったくり、スリはないので比較的安全。
そう、スリランカは新聞紙押し付けてバックをひったくったり、裏道に連れ込まれて暴行ってのはあまり聞いたことがないです。


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